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機関誌「あきた経済」

秋田・パフォーミングアーツの源流と文化による地域ブランド戦略

 秋田県には、全国最多となる17の国指定重要無形民俗文化財を始めとする300余りの民俗芸能が各地域で行われており、唄われる民謡も全国有数の数を誇る。その豊かな文化的土壌の中、パフォーミングアーツ(舞踊、演劇、音楽などの舞台芸術)の分野では、石井漠、土方巽といった舞踊・舞踏の先駆者が生まれている。また現在、全国的な集客力を有するわらび座のミュージカルや、国際的に注目を集めるダンスフェスティバル「踊る。秋田」が行われている。このようなパフォーミングアーツによる地域ブランド構築の戦略を提案する。

1 秋田ノーザンハピネッツB2最終戦

(1)県民歌斉唱とチアダンス
 2018年5月20日、プロバスケットボールチーム・秋田ノーザンハピネッツは、CNAアリーナ☆あきたで2017-18シーズンの最終戦を迎えようとしていた。試合に先立ち、会場をピンク一色に染めたブースターにより秋田県民歌が斉唱された。この県民歌斉唱の一体感は対戦する他チームにも強い印象を与え、「クレイジーピンク」と称される秋田ブースターの熱気の象徴となっている。
 続いて、ブースターの目が集まるアリーナにチアダンスチームが登場、スポットライトを浴び、大音量のリズムに乗ったダンス・パフォーマンスを展開した。音楽とチアダンスにより盛り上がった雰囲気の中、優勝をかけたB2プレーオフファイナルに臨むハピネッツの選手たちが歓声に包まれて入場した。
(2)パフォーミングアーツとは
 パフォーミングアーツ(パフォーミングアート)とは、舞踊、演劇、音楽など肉体の行為によって表現する芸術を意味する。ノーザンハピネッツのチアダンスチームがしなやかな肢体を躍動させブースターの気持ちを盛り上げるように、生身の体のダイナミックな表現は時に観る者に大きな感動を呼び起こす。
 秋田県は、このパフォーミングアーツに関して豊かな文化的土壌を有している。本稿では、この貴重な地域資源であるパフォーミングアーツの土壌を活かした文化による地域ブランド構築の戦略を提案する。

2 石井漠と土方巽

(1) モダンダンスの先覚者・石井漠
 ノーザンハピネッツの試合会場で斉唱される秋田県民歌は、倉田政嗣・高野辰之の作詞、「浜辺の歌」の成田為三の作曲であり、合唱と吹奏楽のための楽曲「大いなる秋田」の第3楽章に組み入れられている。1968年(昭和43年)に秋田県の依頼でこの「大いなる秋田」を作曲したのは作曲家の石井歓。その父が、モダンダンスの先覚者と呼ばれる舞踊家・石井漠である。
 石井漠(本名・忠純)は、1886年(明治19年)、秋田県山本郡下岩川村(現・三種町)に生まれた。上京した石井は、1911年、帝国劇場歌劇部第1期生としてダンス・クラシックを学び、石井林郎の名で帝劇オペラに出演した。1916年に帝劇を退団し、石井漠と名乗って「舞踊詩」と称する創作舞踊を始めた。劇作家・小山内薫の劇団「新劇場」、浅草オペラ等での活動を経て、1922年から1925年まで欧米を巡業した。石井漠が海外で演じた創作舞踊は各国で高い評価を得、「ニジンスキーに匹敵する」と評された。
 1928年、東京・自由が丘で石井漠舞踊研究所を設立、多くの後進を育成し、創作舞踊という芸術分野を確立した。1962年、東京都において75歳で死去。

(2)「BUTOH」の創始者・土方巽
 「舞踏」という新たな芸術分野を創り出した土方巽も秋田県の出身である。
 土方巽(本名・米山九日生(くにお))は、1928年(昭和3年)、秋田県南秋田郡旭川村(現・秋田市)に生まれた。九日生は小学生の時に、石井漠の秋田での舞踊公演を見た。秋田工業学校(現・秋田工業高校)を卒業した後、秋田市内に増村克子が開いた教室でノイエ・タンツ(ドイツ語で「新しい舞踊」)を学んだ。
 上京した九日生は、1952年、安藤三子のスタジオに入団、舞踊だけでなく美術、音楽、文学など様々な分野の芸術家たちと交友を広げた。1959年、三島由紀夫の小説からモチーフをとった「禁色」を上演、三島から高く評価された。元藤燁子、大野一雄らと前衛的な舞踊公演を行い、1968年、「土方巽と日本人-肉体の叛乱」を上演、エロチシズムあふれる祝祭的空間を現出させた表現は広い層に衝撃を与えた。
 土方の作り出した表現は、「暗黒舞踏」あるいは「舞踏」と呼ばれる。芦川羊子、大野一雄や、「大駱駝艦」、「山海塾」が行った海外公演により海外で舞踏ブームが起こり、「BUTOH」として高い評価を得た。1986年、東京において57歳で死去。

(3)石井漠、土方巽の今日的意味
 石井漠も土方巽も、舞踊・舞踏の新たな地平を切り開いた人物であり、育成した後進の踊り手も多い。当然、現在のわが国の舞踊・舞踏はこの二人から大きな影響を受けている。
 もう一つ指摘すべきことは、二人は日本のみならず海外からも大きな関心、評価を得ているということである。
 前述のとおり、石井漠は足掛け4年にわたる欧米での巡業を行い高い評価を得た。また、土方巽自身は海外公演をしなかったものの、彼が創始した舞踏を多くの踊り手が海外で公演し高い評価を得たことにより、「BUTOH」は今も世界にインスピレーションを与えている。
 2016年、羽後町田代に「鎌(かま)鼬(いたち)美術館」が開館した。館内に展示されている約10点の土方巽の写真は、1965年、土方が写真家の細江英公とともに羽後町を訪れた際、子どもたちを含む住民との触れ合いの中で撮影し、写真集「鎌鼬」に掲載されたものである。
 NPO法人「鎌鼬の会」事務局長・阿部久夫氏のお話によると、羽後町では廃校を舞台にして6日間にわたる舞踏のワークショップが行われており、成果発表の場として鎌鼬美術館で芸術祭が行われる。昨年はこのワークショップに世界12か国から約20名が参加した。また、京都に住む著述家のアレックス・カー氏は鎌鼬美術館を訪れて感動し、羽後町長に「もっと振興すべき」と提言した。土方のBUTOHに関する論文は海外で多数発表されており、その数はすでに国内の論文数を超えているという。

3 民俗芸能の豊かな土壌

(1)石井漠と「ささら踊り」
 石井漠の著書「おどるばか」に次のようなエピソードが記されている。
 欧米巡業から帰国した後、石井は郷里に近い秋田県能代で公演を行った。公演後、石井の少年時代の友人が楽屋に現れ、「今の君の舞踊は、形は少し異なるが自分たちの村の『ささら踊り』と全く同じものではないか」と批評した。石井は最初、侮辱されたようで不満だったが、その友達は、ささら踊りとの共通点について身振り手振りでさらに説明を加えた。自分の舞踊が日本では「西洋的なもの」と評され、海外では「東洋的なもの」と評され、国籍を持たないような寂しい気持ちを味わっていた石井は、荒削りではあるが衝動的な動作と活発さを持つ「ささら踊り」に自分の真実の姿を見た満足に浸り、友達の手をとって感謝した。
 石井自身が認めていることから考えて、彼の舞踊は郷里の芸能「ささら踊り」に一つのルーツを持つのだろう。「ささら」とは、竹や細い木などを束ねて作る道具で、楽器や装身具などに使われる。ささらを使った舞踊を「ささら舞」、「ささら踊り」、また単に「ささら」という。

(2)豊かな民俗芸能
 秋田県内には、ささら、神楽、番楽、駒踊り、獅子舞といった民俗芸能が各地域で行われている。神楽(かぐら)とは、神に奉納する歌舞であり、山伏(修験者)が奉じた神楽を番(ばん)楽(がく)という。また、駒踊りは馬に乗った姿をとりながら行う踊りで、獅子舞は獅子頭を頭にかぶって行う舞踊である。国際教養大学・地域環境研究センターがまとめた「秋田民俗芸能アーカイブス」では、300件以上の県内の民俗芸能が動画として収録・公開されている。
 これらの民俗芸能のうち46件が、秋田県指定無形民俗文化財であり、さらに17件は、重要無形民俗文化財として国によって指定されている。重要無形民俗文化財の件数を都道府県別にみると、10件を超える都道府県は6つしかなく、秋田県の17件は2位の新潟県の13件を大きく引き離して第1位となっている。
 重要無形民俗文化財とは、無形(建物などの形を持たない)の民俗文化財のうち、「特に重要なもの」として国が指定したものである。例えば、この指定を受けている根子番楽(北秋田市)は東北地方に伝承されている山伏神楽のなかでも、特に言(いい)立(だて)や芸能の伝承が確実のものといわれている。また、本海獅子舞番楽(由利本荘市)は、寛永年間(1624~1645年)頃に修験者・本海坊によって伝えられたとされ、400年近くにわたって継承されてきた。秋田県が最多の重要無形民俗文化財を誇るのは、このように長い期間、民俗文化財の本来の姿を保って伝承してきたことに大きな理由がある。
 なぜ秋田県内にこれほど多くの民俗芸能が継承されているのだろうか。その理由を一言でいうと、現在、秋田県が民俗芸能に関して文化的に豊かなのは、歴史的にこれらの地域が経済的に豊かだったからである。
 米本位制とも言える江戸時代の経済において、気候に恵まれ米が豊富に獲れ、また、鉱山や木材などの資源が豊富な秋田は圧倒的な豊かさを誇っていた。暮らし向きが豊かだったからこそ、伝統文化を継承する集落共同体を維持することができ、楽器、飾り、衣装などの品物を揃え、日々の生活の中で地域の芸能を次の世代に練習させ継承していく余裕があったのだ。
 この点に関し、前述の「秋田民俗芸能アーカイブス」の監修をされた秋田県民俗学会副会長の齊藤壽(じゅ)胤(いん)氏から次のような話を伺った。
 江戸時代、全国から伊勢参りに訪れた旅人たちは、参拝の前に二見浦の浜で禊(みそぎ)を行う習わしだった。秋田から来た人が裸になり禊をしていると、他の土地の人から「あなたは秋田の人でしょう。秋田の人はお米を食べているから肌がつやつやしている」と言われたという。当時、他の地域では米が食べられず「ひえ」や「あわ」などの雑穀を食べることも多かったが、秋田では9割以上が米を食べていた。それだけに、秋田の人は五穀豊穣を祈る信仰を忘れないできた。
 齊藤氏は、「秋田県に民俗芸能が豊かに継承されている根底には、その素朴な信仰心がある」と語っている。

(3)継承の危機的状況
 豊かに継承されてきた県内の民俗芸能は、一面では、危機的な状況にある。
 「秋田民俗芸能アーカイブス」の「監修のことば」で齊藤氏は次のように記されている。
 「民俗芸能の衰退はすでに当時(1993年、引用者注)から深刻な状況でした。そして、20年後の今日、その衰退傾向に歯止めはかかっておらず、有効な対策が打ててこなかったことに益々危機感を覚えておりました」
 また、秋田県教育委員会がまとめた民俗文化財公開交流事業報告書(平成27年度)には、次のように記載されている。
 「平成25年度の調査によると秋田県内で活動中の民俗芸能の団体数は275団体で、休止中の団体が53団体、保存会が解散した団体が17団体あることが確認されている。少子高齢化の進展に伴ってこの傾向は今後加速する可能性があり、無形民俗文化財を保護する必要性が今後より高まる」
 稲作を中心とする豊かな経済に支えられてきた民俗芸能であるが、各地域の少子高齢化、人口減少により芸能を承継してきた自治会や保存会の活動継続が次第に難しくなってきており、民俗文化の継承は危機に瀕している。

(4)行政などによる保護、活用の取組
 上述のような危機的状況に対して、民俗芸能を保護し、地域活性化のために活用しようとする取組が行われている。
 前述の「秋田民俗芸能アーカイブス」もその一つである。これは文化庁の助成を受けて、国際教養大学地域環境研究センターが平成22~24年度に実施した事業であり、県内における民俗芸能の「今のありのままの姿」を映像媒体と聞取り調査によって記録し、DVDとして配布するとともにインターネット上(※)で公開したものである。
(※)http://www.akita-minzoku-geino.jp/
 秋田県は、平成17年3月に策定した「文化振興ビジョン」や、平成27年3月に策定した新たな「あきた文化振興ビジョン」に基づき、「文化の力で秋田の元気創造」を図っていくため、様々な文化振興施策を展開、その中で民俗芸能の継承、発展に関する施策を行っている。
 秋田県教育庁生涯学習課文化財保護室は、無形民俗文化財を保護するためには公開の機会をつくることが重要と考え、昭和52年から平成26年まで37回の「民俗芸能大会」を開催し、のべ257団体が出場した。また、「秋田の祭り・行事」(平成16年)、「秋田の祭り・行事 改訂版」(平成26年)の発行などにより無形民俗文化財についての発信を行ってきた。
 また、文化財保護室は民俗芸能の後継者育成を支援するため、平成27年度から3年間にわたり「民俗文化財公開交流事業」を実施した。これは、小学生を対象に学区内にある民俗芸能を公開し地域にとっての意義等を解説することにより、伝承意欲を醸成することを目的とする。3年間で12校を対象に行ったが、学区内にある芸能でも初めて見て興味を抱いた子どもも多く、自分でもやってみたいという声も聞かれたという。平成30年度からは中学校にも範囲を広げ、さらに3年間事業を継続する予定である。
 秋田県観光文化スポーツ部文化振興課では、2016年から「新・秋田の行事」を開催している。これは伝統芸能や伝統行事を次世代に伝えるとともに、文化資源を活用し交流人口の拡大を図るため、本県を代表する伝統芸能等が一堂に会する、秋田でしか味わえない伝統芸能の祭典である。2016年は11万3,000人、2017年は10万3,500人の来場者を集めた。
 3年目となる「新・秋田の行事in仙北2018」は、10月6日-7日に仙北市角館町で開催し、角館祭りのやま行事などユネスコ無形文化財「山・鉾・屋台行事」に登録された秋田の三大祭りや白岩ささら、西馬音内の盆踊りなど多くの民俗芸能が集結する。

4 民謡の宝庫・秋田

(1)13の全国大会
 民俗芸能と同様に人々が生活の中で生み出し継承してきた文化に民謡がある。秋田県では13の民謡の全国大会が開催され、民謡の宝庫といわれている。
 秋田に全国的に有名な民謡が多く、特に仙北地区で民謡が盛んな背景には、一人の人物の貢献があったとされる。(一財)民族芸術研究所・編、無明舎出版発行の「秋田民謡育ての親 小玉暁村(ぎょうそん)」によると、仙北郡中川村(現・仙北市)に生まれた小玉暁村(1881~1942年)は、教職の傍ら民謡や芸能の研究を手がけたほか、「仙北歌踊団」を組織して民謡の唄い手、踊り手を育成し、県内だけでなく東京などでも公演を行った。そのことが、人々の生活の中から生まれた民謡にいのちを注ぎ込み、新しい民謡として生まれ変わらせることに繋がったという。

(2)民謡を継承・普及する活動
 民謡の宝庫・秋田でも、各民謡大会の参加者は次第に高齢化し減少する傾向がある。
 秋田県民謡協会は、民謡を正しく保存・伝承するとともに、広く普及活動を行うこと等を目的として、1980年に民謡の県内3連合会が結集して設立された。
 同協会は、各民謡全国大会を後援するなどの活動とともに、毎年4月に協会主催の「秋田民謡全国大会」を開催している。今年の大会には、関東圏、宮崎県、鹿児島県など全国各地から約200名が参加した。また、技術の向上にも取り組んでおり、指導者等の認定や、一般、指導者に対する研修会を開催している。
 今年5月13日には、秋田県(文化振興課)、秋田県芸術文化協会、秋田県民謡協会で組織する実行委員会により「あきた民謡祭2018」が開催された。この催しには1,300人が参加し、出場した唄い手が驚くほどの大盛況だった。

5 あきた芸術村

(1)民謡・民俗芸能とのつながり
 パフォーミングアーツ(舞台芸術)の面で、秋田の豊かな民俗芸能・民謡の伝統につながる活動を行っているのが、あきた芸術村である。
 あきた芸術村は、仙北市にわらび劇場、温泉ゆぽぽ、田沢湖ビール、森林工芸館、エコニコ農園などの複合施設を構え、オリジナル・ミュージカル公演を中心とする文化・芸術活動を展開している。あきた芸術村を運営するわらび座は、1953年にこの地に拠点を構えた。その大きな理由が、仙北地域が「民謡・民舞の宝庫」であることだったという。
 そのような経緯から、わらび座は県内の民俗芸能の研究も熱心に行っている。前述の民族芸術研究所(現・民族芸能資料センター)による小玉暁村に関する調査研究もその一環である。また、デジタルアートファクトリー(DAF)は、モーションキャプチャーを用いた伝統芸能のデジタル化に取り組んでいる。これは秋田大学と共同で開発した技術であり、踊りの動きを3次元のデジタルデータとして記録するものである。DAFはこのデジタルデータによる民俗芸能の保存・分析や次世代の教育・伝承への活用をはかっている。

(2)わらび座ミュージカルの大きな集客力
 あきた芸術村の中心的施設であるわらび劇場は、わらび座が1995年以来ロングラン公演を続けるオリジナル・ミュージカルの常設劇場となっている。わらび座は、県外でも全国各地でミュージカル公演を行い、愛媛県の坊ちゃん劇場とは提携劇場としてパートナーを組んでいる。また、秋田市のにぎわい交流館AUでも、「東海林太郎伝説」などの公演を行っている。これらミュージカルの年間観客数は、わらび劇場5万人、県外公演20万人、にぎわい交流館AU1万8千人の合計で約27万人に達する。
 また、わらび座ではミュージカル観劇と踊り教室、農業体験を柱にした修学旅行の受入を30年以上続けており、全国から年間約150校の生徒があきた芸術村を訪れる。温泉、宿泊などの関連施設を含めると、あきた芸術村は年間25万人の集客力を誇り、うち3~4割(10万人近く)が県外からの来客である。
 わらび座のオリジナル・ミュージカルの一つの特色は、秋田独自の素材を作品化していることである。「リキノスケ走る!」、「東海林太郎伝説」、「政吉とフジタ」など、秋田の人物に光を当てた作品も多い。また、ミュージカルの脚本、演出、音楽などに全国から各分野の人材が参加していることも特徴である。
 わらび座の山川龍巳社長は、次のように語っている。
 「わらび座のミュージカルは、全国から一流の才能が集まって創っている。舞台芸術の評価システムは東京にあるが、わらび座のミュージカルも東京のショーウィンドーに並べ、同じ基準で評価して『秋田は面白い』と言わせることを狙っている。これからの社会は『モノを売る仕事』から『感動を提供する仕事』にシフトし、文化が経済を引っ張っていく時代に入っていく。人間は土から離れては生きていけないが、そのことを一番知っているのは秋田を含む北東北の人たちだと思う。これからも大事なところに光を当て、素材を上手に料理してグローバルに発信していきたい」

6 舞踊・舞踏の聖地、秋田

(1)ダンスフェスティバル「踊る。秋田」
 石井漠、土方巽という天才を生んだ秋田、その歴史を活かした舞踊・舞踏の国際フェスティバルが「踊る。秋田」である。
 「踊る。秋田」は、正式名称を「石井漠・土方巽記念国際ダンスフェスティバル」という。2015年にプレ企画が開催され、正式開催となった2016年には、アメリカ、韓国、台湾、地元秋田を含む日本のダンスチームが公演を行い、ダンスの実技や知識を学ぶ講座も開催された。
 2017年は、土方巽の衣鉢を継ぐ若い才能を育てるため「土方巽記念賞」を制定し、作品を公募したところ世界中から多数エントリーがあり、その中から映像審査で選ばれた15作品と招待作品1作品の公演が行われた。また、石井漠を顕彰し、その遺産を発展的に継承していくために、「石井漠記念賞」を制定し、授与者を決定した。フェスティバル全体では、5つの国と地域から28組のダンサーが出演し、観客として2,970名が参加した。

 2018年は、次のようなスケジュールが予定されている(一部変更の可能性あり)。
 9月8日 野外公演 (大駱駝艦)
 10月11-14日 土方巽記念賞受賞者公演
 10月24-26日 石井漠記念賞受賞者公演
 11月10-11日 アウトリーチ三種町公演

(2)秋田が文化の世界的交差点に
 秋田で「踊る。秋田」を開催する意義について実行委員長の高堂裕氏は次のように語る。
「昔は法事のようなハレ(非日常)の日があり日常との切り替えがあったが、今は日常と非日常との境目があいまいになっている。もともと芸能は、目の前に突然現れ、びっくりさせる性格を持っている。秋田にそういう生の非日常に触れる機会がもっとあったほうがいい。コンテンポラリーダンスは身体表現で見る人をドキドキさせるものであり、秋田の人にそういうドキドキ感を味わってほしい」
 山川三太フェスティバル・ディレクターは、「踊る。秋田」の目指す方向について次のように語っている。
 「石井漠、土方巽の存在はここ秋田にしかないもので、かつ世界的な知名度を持っている。『踊る。秋田』は最初から国際的なフェスティバルにしようと考えていた。2016年に土方巽記念賞の参加作品を世界で公募した際、応募目標を100組にした。誰もその達成を信じなかったが、交通費自己負担、ギャランティーなしという条件にもかかわらず、結果的に世界16か国から219組がエントリーした。それは『踊る。秋田』が世界各国ですごく注目されているからで、開催3年にしてすでに秋田は『舞踊・舞踏の聖地』になっている。2017年は、ゲストとして世界9か国から13人のダンスフェスティバルのディレクターたちが来たが、彼らは『踊る。秋田』に参加した中で目をつけたダンサーを自分の国のフェスティバルに招いている。そういう意味で、秋田は文化の世界的な交差点になることができるし、それを目指している」

7 文化による地域ブランド構築の戦略

(1)秋田の奇跡的な文化資源
 ここまで、秋田県の豊かな民俗芸能、民謡の土壌と、それを受け継ぐ舞踊・舞踏、ミュージカル、国際ダンスフェスティバルなどパフォーミングアーツの状況について概観してきた。
 確かに、現在のパフォーミングアーツの源流となっている県内の民俗芸能や民謡は、各集落の高齢化、人口減少により継承が危機的状況にある。しかし見方を変えると、高齢化や人口減少が続く中で、これだけ多くの民俗文化が現在も地域に残っていることは奇跡的なことである。かつては秋田の経済的な豊かさが文化の豊かさを育んだが、発想を逆転させ、今ある豊かな文化資源を活用することにより地域ブランドを構築し、ひいては経済的な効果につなげる方策を考えたい。

(2)民俗文化の継承と活用
 現在ある民俗芸能、民謡などの民俗文化のすべてを継承していくことは、率直に言って難しいかも知れない。しかし長いものは数百年にわたり継承してきた貴重な文化であることを考えると、できる限り未来へ継承していく努力が必要である。
 そのためには第一に、「知る」ことが重要である。教育庁文化財保護室が行っている事業でも、同じ学区内の芸能でありながら「初めて観た」という子どもたちが多いという。秋田県民自身が自分たちの持つ民俗文化の豊かさ、貴重さを認識する必要がある。
 そのために使える手段はフルに活用すべきである。国際教養大学の「秋田民俗芸能アーカイブス」と、わらび座DAFによる3次元デジタルデータ化、また、教育庁文化財保護室による後継者支援の事業や秋田県文化振興課による交流人口拡大への活用は、それぞれ大変貴重で意義の大きな取組である。しかし、相互の連携に関しては弱点がある。これらを相互に連動させて、国内だけでなくグローバルに発信する仕組みを作ることが必要である。
 民俗芸能と他の芸術とのコラボレーションを行うことも、伝統に新たな命を吹き込む可能性を広げる。「踊る。秋田2016」では、藤里町の伝統芸能「駒踊り」の若集と韓国・ソウル藝術大学のナム教授が率いるダンサーたちが創作ダンスを創り上げ、その公演では藤里町民3,500人のうち400人を超す観客が熱い拍手を送った。

(3)わらび座、「踊る。秋田」の発信力
 わらび座によるオリジナル・ミュージカル公演と国際ダンスフェスティバル「踊る。秋田」は、どちらも秋田にしかない独自のコンテンツであり、グローバルな発信力を持っている。
 秋田の人物・文化を国内外に発信しているわらび座、秋田を文化の世界的な交差点にしている「踊る。秋田」。この二つのパフォーミングアーツの取組は、一流の才能が結集して新たな文化を創り出している。秋田からの文化発信と全国、世界から人を集める点で価値が大きく、地域全体で盛り上げていくことが求められる。

(4)文化による地域ブランド構築
 ここに提案する「文化による地域ブランド構築」とは、秋田に脈々と流れるパフォーミングアーツの文化的価値を地域内外に発信し、この地がそのような高い文化を育む地域であるという認識を広めること、さらにその文化的価値を活用して交流人口さらに定住人口の拡大につなげることである。
 外に向かっては、グローバルな文化価値の発信により交流人口の拡大につなげ、内に向かっては、地域文化の高い価値を再認識して、次世代を担う子どもたちが地域に誇りを持てるようふるさと教育に活用したい。
 本年5月25日から3日間、秋田市で「これが秋田だ!食と芸能大祭典2018」が開催された。このイベントでは、ユネスコ無形文化遺産登録の3行事を含む秋田の伝統芸能が演じられ、各地域に多彩な民俗文化が継承されていることが改めて認識できた。特に大曲農業高校郷土芸能部による「秋田おばこ節」などの唄と踊りは、民謡が過去のものではなく若い人をも惹きつける魅力を持つことを示している。
 数百年を遡る伝統芸能からコンテンポラリーダンスまで、秋田は豊穣のパフォーミングアーツの世界を有している。その価値を改めて認識し、未来を切り開くために活かしていきたい。
(株式会社あきぎんリサーチ&コンサルティング 荒牧敦郎)
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